「今もよく売れるし、これからはもっと売れるようになる」。中央区にある江戸箒(ほうき)専門店「白木屋中村傳兵衛(でんべえ)商店」7代目の中村悟社長(64)は確信している。箒が全く売れず、同業者が次々廃業した時代の入社から30年超。店を「江戸箒の一丁目一番地」に育てるまでの歩みを聞いた。(高田みのり)

◆「まだこんな商売やってんの」と言われ…

白木屋の箒の良さを語る中村さん。店舗には大小様々な箒がずらりと並んでいる=中央区京橋の白木屋中村傳兵衛商店で

 元は1830年創業の畳表店。いつから箒を作り始めたのかは不明だが、中村さんが入社した1980年代、白木屋の箒は売れていなかった。敗戦や高度経済成長期を経て社会の価値観が一新され「箒は主婦を家庭に縛り付ける道具だって言われて」。長く付き合いのあった職人に離職してもらい、社は日用品雑貨の販売を主力としていたほどだ。

白木屋のホウキ。職人たちの手仕事が光る

 転機は百貨店催事への出店。「まだこんな商売やってんの」。心無い言葉を浴びた一方、興味を示す客もいた。深夜でも隣室に迷惑をかけず掃除したい人、子にアレルギーがあり空気が拡散される掃除機は使えない親。客との会話で需要を知るうち、ふと気付いた。「うちには、うちの箒が他とどう違うかを説明できる人がいない」  白木屋の箒にはいくつか特徴がある。中でも、折れにくくバネの利いた”コシ”は、材料であるイネ科植物・ホウキモロコシの選別を厳しくして実現した。収穫は穂が40センチ以上あるもの限定。その後は太さや柔らかさなどで約20等級に分け、箒に用いるのは上位3等級のみ。基準クリア率は収穫量全体の5%だ。

◆主力を箒に一本化 客はじわじわ増える

用途さまざまな小箒。妊婦の腹をなでてお産を軽くするとされる「安産祈願小箒」も

 あらためて自社製品を分析したことで勝機を感じ、主力を箒に一本化。職人も呼び戻した。国産草の収穫量が減ると、かつて日本の箒職人が移り住んだ縁で同じ草が栽培され、箒の製造方法も伝わるインドネシアに着目。同国産草の輸入と並行して現地での栽培指導を重ね「最初は1本も使えなかった」という草の質を改善させた。  白木屋が作る箒は年間1万本。重く感じないバランスにこだわり、柄と穂先の接合部は手で編み上げる。柔らかい草を穂の外側、曲がった草は内側に入れ込むのも掃きやすさのためだ。

年季の入った看板が出迎える店舗

 ロボットが掃除をする時代でも客はじわじわ増え、手応えはある。「人の手で掃除するからこそ得られる心地良さがある」。処分時に不燃物が出ないなど環境問題への利点も挙げ、こう続けた。「TPO次第で掃除機と併用すればいい。この時代にも箒がある『選択肢の多さ』は、人が文化的に豊かであることの象徴だ」 

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