ポーズをとるTOKIOの城島茂さん=東京都港区で2024年4月11日、三浦研吾撮影

 私が代表を務める「株式会社TOKIO」がこの春で4期目の突入と相成ります。国分太一、松岡昌宏の両副社長と更なる発展をと、先日新年度の会を開きました。

 まだ日が落ちる前の時間からでしたが、東京都内の焼肉屋さんに現地集合。その後、個々にそれぞれまだ仕事があることもあり、早めのお開きにはなりましたが、また新たな思いで心をひとつにして頑張らなければと誓った次第です。

 ちなみにその時の様子は「株式会社TOKIO」公式SNS(ソーシャル・ネットワーク・システム)にもアップしているので、ぜひご覧くださいませ。

 さて、あらためて振り返りますと、そんな彼らと初めて出会ったのは私も含めてまだみんなが10代の頃でした。一番年下の松岡がまだ中学1年生という時代です。時にして1989年の頃です。

 気が付けばあれよあれよと私の背丈を追い越し、現在では俳優としても女形から時代劇までこなす弊社が誇る広報担当の副社長。ちなみに国分は昔からそうですが、彼のコンサートの演出のアイデアは引き出しが多く、そのすごさには舌を巻きました。

 現在社内では企画担当でバリバリ手腕を振るっております。でも出会った頃は、まさか後にグループを組むどころか、起業までする未来が待っているとは、誰も夢にも思っていなかったことでしょう。

 その当時の夢といえば、グループを組みアイドル歌手としてCDデビューをすること。しかし若げの至りで、まずは「俺が俺が」と自分が目立ちたい気持ちがあったり、その後はライバルは自分自身と答えるくらいほんの少し大人な発言をしたりして。そうして走り続けてきてグループ「TOKIO」は、今年9月にデビューから30年を迎えることとなります。

TOKIOの城島茂さん=東京都港区で2024年4月11日、三浦研吾撮影

 まさにファンの方、スタッフに支えられての30年です。こればかりは感謝しかありません。

 エンターテインメントの世界でいえば昭和、平成の頃と違い、令和はセルフプロデュースがより大事になってくると言えるでしょう。自分の進むべき明確な方向を5年後、10年後を含めてきちんと考えなければいけない時代だと思います。

 デビューからこれまで、それなりに大変なことはありました。しかし人はみんな苦労を乗り越えていく強さを持っていると私は常に思っています。人には踏ん張る力があるのだと。

 つらいことがあったら、上を向いていこう。上を向くのがしんどい時は、前を向こう。それもつらくてうつむきそうなら、ではせめて足元を見つめよう。そうすれば、少なくとも再びつまずく心配はなくなるのではないかと。どんな状況でもどこかに必ず希望の光があると信じている自分がいます。

 まあ、そうは言っても我がメンバーはみんなアラフィフ。そういった中で成長はもちろん、現状維持だけでもどれだけ大変なのか、日々痛感するところです。とはいえ、まずはとにかく直感的に「これ、楽しそうだな」と心に響くことを今後も取り組んで行けたらと。

TOKIO-BAで種まきをする城島さん©(株)TOKIO

 その手始めというわけではないんですが、3月末に福島県西郷村にある「TOKIO-BA」という東京ドーム2個分ほどある場所で、一般の方を募集して共に小規模ながら畑作りを始めました。これから秋まで8カ月かけて、タネを植えるところから収穫まで、皆さんと一緒に作業します。コンセプトは「安心な野菜作り」です。

 3月の初回には、40人ぐらいの方が参加してくださいました。家族や個人の参加者などさまざまで、下は3歳の男の子から。皆さんにはまずクワを持っていただき、畑を耕す大変さを知ってもらいました。収穫した野菜をみんなで食べるのが楽しみです。

TOKIO-BAで畑を耕す城島さん©(株)TOKIO

 いろいろと新しい活動がスタートした4月ですが、まずは健康が第一。昔はメンバーが集まればおすすめの美容院の話題に花が咲きましたが、最近ではおすすめの病院の話が持ち上がる私たち。ただいくつになっても心は10代。病も元気も気からと自身を今日も鼓舞する城島です。

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