泊崎大師堂の境内に設置された投句ポスト。一望できる牛久沼は子規にも詠まれた=茨城県つくば市泊崎で2024年4月10日午後0時23分、信田真由美撮影
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 正岡子規に詠まれた茨城・牛久沼のほとりに、誰でも気軽に俳句などを投函(とうかん)できる「投句ポスト」ができた。提案したのは近くに住み俳句教室で長年講師を務めた印南(いんなみ)光子(俳号・印南美都)さん(90)。投函された一句一句を添削して、講評を郵送している。デジタルの時代に紙でつなぐ縁とは――。

「まずは投稿してみましょう」

 「寒さうに鳥のうきけり牛久沼」。水戸への旅行中に子規が詠んだ情景を今も見渡せる茨城県つくば市の寺院「泊崎(はっさき)大師堂」。その境内に2023年12月、手作りのポストが設置された。

 筆記台の下のプラスチックケースには、二つ折りの水色の用紙に「経験・未経験は問いません。まずは投稿してみましょう」と呼び掛けがある。この紙には季語が記され、投句用紙が挟まっており、俳句や川柳、短歌を書いてその場でポストに入れられる。

40歳を過ぎて俳句教室に

ポストに投函された作品を手にする印南光子さん=茨城県つくば市高見原で2024年4月10日午前11時50分、信田真由美撮影
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 印南さんは、中学教員だった父が自由律俳句をたしなんだ影響で、小学生の頃から俳句や短歌を作っていた。不惑を過ぎた1976年、近くの茎崎町(現つくば市)の生涯学習講座で俳句教室が開催されると回覧板で知り、通い始めた。

 俳句は世界一短い定型詩で、季語を必ず入れる決まりだ。「悲しいこともきれいなことも一句に閉じ込められる」ことが、どんどん面白くなっていった。講座は約10年後、「茎立(くくだち)句会」というサークルに移行。94年には高齢だった当時の講師から後任として指名され、26年間講師を務めた。

 43歳から76歳までは民生・児童委員も務めた。委員の活動で忙しくても「自然を見て句を作ることが精神的安定剤になっていた」。思い出の旅先も全て句に残し、98年に句集を自費出版した。

「今が最後のチャンス」

 20年3月、新型コロナウイルスの感染が拡大。高齢で持病もあるため、句会は引退した。それでも俳句への熱意は冷めず、神奈川県鎌倉市などで町おこしとして設置されている「俳句ポスト」を「いつか地元にも作りたい」という夢も持ち続けていた。

泊崎大師堂の境内に設置された投句ポスト=茨城県つくば市泊崎で2024年4月10日午後0時22分、信田真由美撮影
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 適地を考えあぐねる中で、23年春、俳句雑誌で泊崎大師堂について教え子が詠んだ句に目が留まった。「ベンチがあって、沼、里山、川が一望でき、白鳥も泳いでいる。こんなに良い場所があった。ここが一番ふさわしい」と、もやが晴れるような気持ちになった。

 大師堂を管理する保存会会長の片野晃一さん(77)に相談すると、川柳をたしなむ片野さんも賛同。教え子も交え、ポストを設置して管理する「結の会」を作った。「私ももう90を超える。寝ているようになったらできない。今が最後のチャンスという思いでやった」

命ある限り

 ポストは年に4回開けることにした。12月末に初めて開けると7枚、今年3月末には更に23枚が投函されていた。

 住所と名前が記載されていた15枚には講評を書き込んで4月6日に郵送した。地元の人が多かったが、長野県や神奈川県からの投稿もあった。「宣伝も何もしていないのにこんなに入れてもらえて、予想外」と笑う。

 中でも10歳の男の子の俳句が入っていたことに心が弾んだ。「自分がその時に感じたことを書いてくれた。これをきっかけに俳句に興味を持ち、小学校で友達に『あそこに行くと投句ポストがあるよ』と話をして広がっていったら一番うれしい」。次の回収、そしてまた次……と夢は続く。「命ある限り続けたい。せっかく投句してくれる人がいる中で『印南がいなくなったら終わり』では寂しいので、若い人にも私の気持ちを継いでほしい」【信田真由美】

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