江戸時代に大名が生活と仕事の拠点とした歴史文化施設の移築・再建工事が静岡市清水区で完了し、披露された。施設の魅力を市民に紹介したのは、ご当地出身の落語家・春風亭昇太 師匠だ。
春風亭昇太 師匠:
元禄2年(1689年)、落語が生まれたのとほぼ一緒くらいなんですよ。落語が誕生して江戸の町に広がっていく。そんな時代に、この小島藩も生まれているということでね、何となく興味をもって小島藩を見ているのです
清水出身の落語家・春風亭昇太 師匠。
いつも通り軽妙な語り口で訪れた人を惹きつけるが、落語の高座ではない。
今月15日に静岡市清水区小島本町で行われたのは歴史文化施設の完成イベントだ。
昇太師匠は清水で過ごした青春時代にも、ここを訪れたことがあるという。
春風亭昇太 師匠:
これ、僕が高校1年、今から50年ぐらい前に来て撮った小島陣屋の写真です。当時はまだ畑だったので雑草が石垣の間から生えていて、整備をした状況ではなかったのですが、非常に感動した記憶があります。見学に来た時の僕です。髪の毛を少し伸ばしているので、東海大学第一高等学校に入った時の僕、可愛かったんですよ。スリムだし、目が純粋です、こうやって見ると。今は濁り切った、お金欲しさに働いている僕なんですが、この頃は可愛かったんですよ。50年前に来た時も感動したんです
50年前も、今も感動するという施設とは一体どんなものなのか?
清水区小島は旧東海道の由比宿に近い場所にあり、北へ向かえば山梨・甲州へつながる。
江戸時代、この地に1万石の領地を与えられた大名がいる。
それが小島藩の初代藩主・瀧脇松平信治(たきわきまつだいら・のぶはる)で、1704年に築いた拠点が小島陣屋だ。
小島地区は国を治める上で戦略上、重要な位置にあり、一帯を見渡せる高台に陣屋は設けられ、現在は国の指定史跡になっている。
今回、移築・復元が完了したのは、唯一残され当時の姿を今に伝える御殿の書院。
式典には、静岡市の関係者や地元の小島町文化財を守る会のメンバーなどが出席し、工事の完了を祝った。
書院は藩主が使っていた建物で、部屋は4つ。接客や執務、寝室に使っていたと考えられている。
ここを拠点に、小島藩の歴代藩主は164年間にわたって、駿河の国の安倍・有度・庵原にある30の村を治めた。
陣屋にあった建物は明治維新のあと学校として使われ、その後、取り壊しに。書院だけが場所を移して、1928年から地域の公会堂として使われ、毎月掃除をするなど地元の人が保護し、守り続けてきた。
静岡市は、この貴重な建物を核に歴史公園を整備しようと元の場所である陣屋跡への移築・復元に着手。多くの部品・材料は江戸時代の物がそのまま使われている。
昇太師匠が小島陣屋に魅力を感じる理由…それは領地を守ろうとする「小さな藩のひたむきな努力」にあるという。
大名が築いた城というと、敵の侵略を防ぎ領地を守るための軍事拠点として豪華な天守閣が思い浮かぶ。
しかし江戸時代、3万石に満たない大名は城を持つことが禁じられていて、石高1万石の小島藩も城を築くことが認められていなかった。
春風亭昇太 師匠:
ざっくりいうと、お城というのは政治をする場所と軍事。自衛隊と国会議事堂が一緒になったみたいな。永田町と自衛隊が一緒になったのがお城なんですよ。陣屋というのは軍事的な要素を省いて、政治をするための場所になっているのが陣屋。だけれども小島陣屋に軍事的な臭いのする石垣がちゃんと用意されている
政治と生活の拠点のはずの陣屋だが、そこには城のような軍事面の工夫があったそうだ。
春風亭昇太 師匠:
想像なのですが、大名になって「小島陣屋を造りなさい」と言われて造る時に、自分は大名でお城を建ててはいけない、1万石の大名なんだけれど、何とかお城っぽくしたい。すごく涙ぐましいほどの努力、ギリギリ、怒られないくらいのギリギリのところでお城っぽくしたんじゃないかなと
では、実際どんなところに、どのような工夫や努力が見て取れるのか、昇太師匠と市職員がガイドを務める見学ツアーも行われた。
春風亭昇太 師匠:
よく見えますね、大手門があった場所に我々はいるのですが
大手門のあった位置や石垣の積み方について教わる参加者。ここの石垣は地震によって被害を受け、何度か修復されているという。
春風亭昇太 師匠:
この辺もちょっと、これを見るとこの辺りと…こっちはちょっと違う感じがしますよね。使っている石も加工して組んであるのとそうでないものがあるので。崩れたのを積み直したのか、新しい石を持ってきたのかわからないのですが時代が違うというのが石垣を見るとわかる
大手門に通じる道の石垣は高さ4メートル。強固な石垣が築かれ、陣屋全体が城郭を思わせる造りになっている。
そして、その大手門につながる道は2本。うち1本はジグザグで、枡形虎口(ますがたこぐち)と呼ばれる造りが採用されている。
春風亭昇太 師匠:
枡形というのはカクカク曲げさせて、守りやすい工夫をしている。このルートを真っ直ぐ行くと、相手が正面じゃなくて横になった時に攻撃することができる。真っ直ぐ前に進ませたくないので、ここで一旦90度曲がって真っ直ぐ行くとまた壁があるので、もう1回90度ターンさせるということでややこしい(造り)
さらに書院西側の石垣は一部が飛び出た形に…侵入をはかる敵に対抗する構造が見て取れるという。
春風亭昇太 師匠:
ここの石垣。飛び出した部分。石垣を登ってくる敵に対して、横から横矢をかけることができる。戦闘のことを考えていない陣屋でこれが必要なのか。限られた財政、限られた時間。1万石の大名の格、ギリギリできる、ギリギリ頑張れるお城っぽさ。正面から見たら誰も見ない。すごくおもしろいです、小島陣屋は
トークに、ツアーと地元・清水の歴史に触れるイベントは参加者にとっても特別な1日になったようだ。
参加者:
城に建ててはいけない石垣とかあって、おもしろかった
参加者:
地元静岡市に、お殿様がいて。お城ではない陣屋があるのを初めて知りました。地元にこういう宝があるのは良いなと思いました
春風亭昇太 師匠:
大きければ史跡は立派なのではないとわかっていただければと思います。旗本から大名になりました。1万石クラスだとお城は建ててはいけないのだけれど、何とかギリギリ、お城の体裁を整えたいという涙ぐましい工夫が感じられます。それが小島陣屋のおもしろいところだと思います
静岡市は、今後5年をかけて台風で被害を受けた斜面の復旧やトイレの設置、大手門の整備などを行う方針で、イベントなどを通して市民が歴史文化に触れる機会を作りたい考えを持っている。
そして、15日は書院を使った“落語のイベントを”との声も参加者からあがったが、これに昇太師匠は…
春風亭昇太 師匠:
そこの書院で何か落語をやれそうなスペースなのでいつかやりたいですね。マイクがなくても座布団1つでできそうなので。やるとしたらお殿様のいたところで、お殿様の寝室を高座にして落語できれば良いですね
城は持てないものの戦いに備える怒られないギリギリまで…それは領民を守ろうという藩主の強い気持ちの現われだったかもしれない。
まだ整備の続く清水の歴史文化施設のこれからが楽しみだ。
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