「月の満ち欠け」で直木賞を受賞してから7年。佐藤正午さんの待望の新作長編「冬に子供が生まれる」(小学館)が刊行された。デビュー以来、故郷の長崎県佐世保市で執筆活動を続ける作家に会いに行った。
<今年の冬、彼女はおまえの子供を産む>
夏の雨の夜、自宅にいた30代後半の会社員、丸田優は、差出人不明のメールを受け取る。誰が、なぜこんなメールを送ってきたのか。記憶をたどり、唯一、送り手として浮かんだ幼なじみの丸田誠一郎に20年ぶりに連絡を取るが、彼は死んでいた。自死なのか、事故死なのか。それとも――。
冒頭から謎がちりばめられ、読者は落ち着かない気分のまま、答えを求め、ページをめくり続けることになる。のっけから「佐藤正午ワールド」全開だ。
今回、7年ぶりの新作とあり、新聞や雑誌、ウェブメディアなど複数の媒体に書評やインタビューなどが掲載された。その数、20本以上で「佐藤正午史上、最多」と言う。「SF」や「ファンタジー」、はたまた「文明批評」など、さまざまな評が出た。「全部、納得です。どれも読むとなるほどなあ、と思う」と断った上で、「僕が一番しっくりきたのは<周囲に理解されない純愛小説としても読める>との評だった」と明かす。
そもそもの始まりは、夏目漱石だった。「『こころ』の現代版をという編集者のリクエストが(執筆の)スタート」と語る。
漱石の「こころ」は「先生」の遺書の形で語られる男2人と女1人の物語だ。本書では、2人の丸田と同級生の杉森真秀(まほ)という3人の男女を中心に「誰も読んだことのないラブストーリーを書きたかった」。
<マルユウ>こと、丸田優と、幼なじみの<マルセイ>こと、丸田誠一郎は小学生の頃、転校生の佐渡理と3人で、裏山で透明の謎の飛行物体と遭遇し、不思議な体験をする。それが新聞に取り上げられたことから<UFOの子供たち>と呼ばれてきた。さらに、高校卒業の年に巻き込まれた事故が、それぞれの人生を変えていく。
「これは、長い時間をかけたラブストーリー」と正午さん。「誰も使ったことのない恋愛の障害」として選んだのが、主人公と未知の飛行物体との出合いと、その後の不思議な体験だ。それによって、互いに好意を持っていたはずのマルユウと真秀は20年間、連絡が途絶えることになる。
もう一つの小説的な仕掛けは、2人が対面する場面がないことだ。「本人同士を会わせないで恋愛小説が書けるか。それを意識し始めてからはモチベーションが上がった」と語る。本書の中で、2人の関係は常に第三者の語りや、うわさ話として読者に提示される。それでも、いや、それだからこそ、マルユウと真秀の歩みは切なく、胸に迫る。
当初は、最後の最後で2人が対面する予定だった。「でも、それすら無くても書けるんじゃないかと思って書き上げたのがこの小説」。代わりにラストシーンには、別の人物が登場する。そこには、来年で70歳を迎える正午さん自身の思いも投影されている。「人間は老いていくし、必ず死ぬ。今の幸せがそのまま続くわけではない。そういうことまで含めた(ラストシーンでの登場人物の)涙だと思う」
本書は2018年に着手し、6年をかけて<毎日毎日、じわりじわりと這(は)うように>書き進められた。その様子は、担当編集者「オオキ」さんとのメールのやりとりのウェブ連載「ロングインタビュー小説のつくり方」(WEBきらら)をまとめた「書くインタビュー6」(小学館文庫)に詳しい。
<極端な言い方をすると、毎日毎日ほとんど昨日と同じ場面を書いていた。(中略)今日書いているのは、昨日書いたところの書き直しと、あとはそこからほんの数行先まで>
本にすれば1日に1ページも進まない、とぼやきつつも日々、机に向かう様子がユーモラスに、赤裸々につづられる。
それでもこの7年間、正午さんが全くの沈黙を守っていたわけではない。小学館の「WEBきらら」で「ロングインタビュー小説のつくり方」のほか、岩波書店のウェブマガジン「たねをまく」で年4回掲載のエッセー「小説家の四季」、KADOKAWAの文芸誌「小説 野性時代」での年1回の小説連載「熟柿」が続いており、「書き仕事をサボっていたわけではない」。この間には自著の「鳩の撃退法」と「月の満ち欠け」も相次いで映画化された。さらに、コロナ禍が世界を席巻し、正午さんは耳鳴りや聴覚過敏にも悩まされていた。それなりに波乱の日々だったのだ。
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デビュー40周年を迎えた今年は、過去作の出版ラッシュが続く。光文社から「ジャンプ」「身の上話」「彼女について知ることのすべて」の新装版文庫が出るほか、角川文庫からは「Y」、岩波文庫からはデビューから直近までのエッセーを集めたエッセーコレクション3冊が刊行される。さらに、デビュー25周年に作られた「正午派」(小学館)が、年譜を新しくして文庫化予定だ。来年には、「熟柿」もついに単行本化される。
「熟柿」については「もしも、作家・佐藤正午の作品スタイルに一定のイメージがあるとしたら、それをいい意味で裏切る作品になる。時間も交錯しないし、母と子の絆を描いた王道の母子物」と語る。
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今回、待ち合わせの喫茶店に赴くと、正午さんの胸には「冬に子供が生まれる」の缶バッジがあった。編集者オオキさん発案の「推しグッズ」だ。バッジには、2人の少年の後ろ姿を描いた酒井駒子さんの装画があしらわれている。正午さんは「今回、改めて絵の力を感じた。今となっては、この表紙以外、考えられない」とほれ込んでいる。物語を読み終えた後で見ると、この少年たちがその後にたどった複雑な人生が浮かび、彼らを抱きしめたくなる。【上村里花】
佐藤正午さん
1955年、長崎県生まれ。83年、「永遠の1/2」ですばる文学賞を受賞し、作家デビュー。2015年、「鳩の撃退法」(21年に映画化)で山田風太郎賞を受賞。17年、「月の満ち欠け」(22年に映画化)で直木賞受賞。このほか、「Y」「ジャンプ」「小説の読み書き」「5」「アンダーリポート」「身の上話」など著書多数。長崎県佐世保市在住。
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