半世紀以上にわたって歌い続けている盲目の歌手、長谷川きよしさんが「別れのサンバ 長谷川きよし 歌と人生」(旬報社)を出版した。生い立ちからさまざまなミュージシャンとの出会い、今の姿までをありのままに綴(つづ)り、ノンフィクション作家でジャーナリストの川井龍介さんが、独自の音楽世界を築いたその生涯を一人でも多くの人に知ってほしいと、インタビューを重ねて監修した。東日本大震災を機に長谷川さんが移住し、活動拠点としている京都市で10月30日、出版記念イベントが開催された。【塩田敏夫】
長谷川さんは東京都生まれの75歳。2歳半で失明して6歳からギターを始め、現在の筑波大付属視覚特別支援学校に通った。1967年、第4回石井好子事務所主催のシャンソンコンクールで4位に入賞したことをきっかけに、ギターの弾き語りを始めた。
69年、著書の題名ともなった自作の「別れのサンバ」でデビューし、大ヒット。歌手、加藤登紀子さんとのデュエットによる「灰色の瞳」「黒の舟唄」など数々のヒット曲を世に送り出し、独自のスタイルで音楽活動を続けている。2024年7月にはデビュー55周年記念弾き語りコンサートを東京、神奈川で開いた。
監修した川井さんは毎日新聞記者などを経て独立。「大和コロニー フロリダに『日本』を残した男たち」「『十九の春』を探して~うたに刻まれたもう一つの戦後史」などの著書がある。シンガー・ソングライターとして、ギター奏者として生きてきた長谷川さんを紹介したいとの一念で、本の出版を企画したという。
川井さんは高校生のころから一人のファンとして「強くしなやかな歌声、陰りのあるメロディーと歌詞」に惹(ひ)かれてよく聴いていたが、週刊誌「サンデー毎日」で音楽のコラムを連載することになり、長谷川さんに取材したことが直接的なきっかけとなった。ずっと変わらずにギターを弾き歌う姿を見て深く心が動き、その生涯を本に残すべきだと願うようになった。
出版記念イベントでは、長谷川さん、川井さん、御霊神社宮司の小栗栖(おぐるす)元徳さんが登壇し、トークセッションをした。
小栗栖さんは「別れのサンバを聴いて衝撃を受けた。年下の少年だった長谷川さんは神業みたいにギターを弾き、本当にびっくりし、あこがれてきました」と自己紹介。女子高生(当時)が書いた詞に長谷川さんが曲をつけた「いにしえ坂」を絶賛し、「作詞、作曲の二つの奇跡が重なってできたと思う。一人、静かに聴く歌だ。日本人のもののあわれを表している」と語った。
トークセッションでは、音楽が時代とともに移り変わっていくことが話題となったが、長谷川さんは「基本的に自分がいいと思った曲、歌をずっと歌っていきたいと思って生きてきました」と語り、「75歳ともなると衰え方がすごいが、これからも努力し歌っていこうと思います」と決意を述べた。最後に「別れのサンバ」「人生という名の旅」「愛の賛歌」を熱唱した。
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