岩手県内各地の地名に関する由来について、ゆかりの場所などを訪ねる「ぶらり地名散歩」のコーナー。

盛岡市の南側に位置する本宮地区は、歴史的に重要な場所だという。

長年にわたり県内各地の地名について調査し、著書も手掛けている奥州市出身の宍戸敦さんと盛岡市の「本宮」の由来を探る。

盛岡市の南側に位置する「本宮」は1995年からの盛南開発事業により道路が整備され、大規模なショッピングモールや県や市の施設が充実する地域だ。

本宮の南側にある「大宮神社」は「本宮」の由来と深いつながりがある。

大宮神社 禰宜(ねぎ)・鈴木翔太郎さんによると、「大宮神社は、約1220年前に当時の征夷大将軍・坂上田村麻呂が蝦夷を討伐する際に平定祈願を込めて建てた神社」だという。

「大宮中学校」などがある付近・大宮地区は、大宮神社があることが地名の由来となっている。

岩手県の中でも歴史深い大宮神社は、南部家からの信仰も厚く、深い関わりがある神社で、盛岡市指定の有形文化財が受け継がれている。

この地域の平安を願って南部家から奉納されたと言われている鰐口(わにぐち)は、当時は、祭りの始めの音として鳴らしたり、神社に来たことを神様に伝えるために鳴らすものと言われている。

禰宜(ねぎ)・ 鈴木翔太郎さんは、「当時からこの神社が地域の人たちに守ってもらい、愛されてきた神社だなと思うと身の引き締まる思い」と話す。

大宮神社は岩手県でも大変由緒のある神社、まさしく「大きな宮」なのだ。

ところでこの大宮神社は「本宮」の由来とはどのような関係があるのだろうか。

宍戸敦さんによると、「大宮神社は元々はこの場所ではなかった。この大宮神社が元々あった場所=『元』・『宮』な場所ということで『本宮』という地名になった」という。

盛岡市本宮を一望できる盛岡市中央公園へ移動。ここからは先人記念館やこども科学館も見える。

宍戸敦さん
「もともとこの辺りに『大宮神社』があった。北側に雫石川が流れているが、度重なる氾濫でここにあった『大宮神社』の社殿や敷地が傷んでしまった。そのために現在ある『大宮』のところに神社を移した」

度重なる雫石川の氾濫などから社殿を守るため、大宮神社は今の場所へと移転。
本宮、大宮それぞれに「宮」という名称を今に残している。
そして、現在は商業地や住宅街が広がる「本宮」となっている。

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。