金剛峯寺奥殿襖絵≪虹雉(こうち)≫(1934年)を鑑賞する澤田瞳子さん。「木は狩野派の古い様式だが花は抽象化され、鳥には琳派を感じる。いろんな描き方が重なり合っているのが面白いですね」=京都市中京区で、山崎一輝撮影
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生誕140年、京都文化博物館で回顧展

 絢爛(けんらん)豪華な花鳥画の大作を数多く残した画家、石崎光瑤(こうよう)(1884~1947年)。京都文化博物館(京都市中京区)で開かれている大規模回顧展「生誕140年記念 石崎光瑤」を、作家の澤田瞳子さんが鑑賞した。絵師たちの人間像に迫った『若冲』『星落ちて、なお』などの作品で知られる澤田さん。確かな画力で高い評価を受けながらも、生涯で大きく画風を転換させていった光瑤の軌跡をたどり、「『守破離』の人」とその印象を語る。

石崎光瑤「燦雨」(左隻) 大正8年(1919) 南砺市立福光美術館蔵
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 「描いた絵の上から、これだけ金の線を引くのって怖いですよね」。≪燦雨(さんう)≫(1919年)をじっくりと鑑賞した後、澤田さんがつぶやいた。インドを旅して見た生命力あふれる情景を、画面いっぱいに描いた代表作の一つ。朱色の花が咲き乱れる樹木を揺らし、色鮮やかなインコや孔雀(くじゃく)を驚かせているのは、突然のスコールだ。澤田さんが驚いたのは緻密に描ききった対象の上に、大胆に重ねられた金泥の雨。一つ間違えれば作品が台無しになりかねない構成に「何かを作るには我慢が要る。我慢の先の完成を見通して、じっと耐えて描き続けられるタイプなんでしょうね」と感心する。

 故郷・富山に生まれ、金沢で琳派を学んだ光瑤は、京都に出て竹内栖鳳(せいほう)門下となった。画面を埋め尽くす濃密で豪華な作風で注目され、京都画壇での地位を確立するが、昭和にさしかかる頃、洗練されたモダンな作風へと転じる。

石崎光瑤《春律》 1928年 京都市美術館蔵
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 展示後半にさしかかったところで、澤田さんは再び「怖くないのかな」と口にした。視線の先にあったのは≪春律≫(28年)。対角線上に2羽のヤマドリを描いた美しい作品は≪燦雨≫から一転、琳派の流れを感じさせる装飾性の高い画面に、たっぷりと空間がとられている。「描いた方がわかりやすいし、描かないことって怖いと思う。小説でも足すより引く方が難しいんです。これだけ描かずに一隻の絵にするのは、自信でもあり挑戦でもありますよね」

 澤田さんが「自分なら怖い」と感じたのは、「描かない」ことだけではない。

 光瑤は評価を得ても立ち止まることなく、変化を重ねた。伊藤若冲に魅せられ、大阪・西福寺の≪仙人掌(さぼてん)群鶏図襖(ふすま)≫を見いだしたことで知られるが、若冲だけでなく狩野派などの古画研究にも熱心で、後に中国の花鳥画に傾倒。繊細で端正な作風へと変化している。

石崎光瑤《聚芳(しゅうほう)》 1944年 南砺市立福光美術館蔵
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 「ものをつくる人間って自己模倣してしまいがち。特に人から評価された時にそこから離れ、自分を超えていくのはとても怖いことなんです。でも光瑤さんはそれをあっさりやってのけている。自分もかくあらねば、と思わされました」

 変化の原動力は「好奇心」だったのではないか、と澤田さんは見る。「自分の好奇心に素直で忠実な人だったんだろうな」。そう言って、晩年の静謐(せいひつ)な作品を見つめた。【山田夢留】

石崎光瑤「白孔雀」(右隻) 1922(大正11)年 大阪中之島美術館蔵
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14日までは代表作3件一堂

 10月1日から≪白孔雀≫が展示され、≪熱国妍春(ねっこくけんしゅん)≫≪燦雨≫とあわせて代表作3件が一堂に見られる絶好の機会となりました(≪熱国妍春≫は10月14日まで)。お見逃しなくご覧ください。

会期 11月10日(日)まで。月曜休館(祝休日は開館し、翌日休館)。10~18時(水・金曜は20時半まで。入場は閉室30分前まで)

 ※会期中、展示替えがあります

会場 京都文化博物館(京都市中京区三条高倉、電話075・222・0888)

入場料 一般1800円▽大高生1200円▽中小生600円

主催 京都府、京都文化博物館、毎日新聞社、京都新聞

 ※展覧会情報の詳細は博物館ホームページをご確認ください

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