刊行した「浄楽寺総合調査報告書」を手に浄楽寺の本堂前に立つ檀家惣代の大西甚吾さん(右)と近藤正暢住職。本堂上部に旧多武峰妙楽寺から転用された大欄間がみえる=奈良県橿原市中町で2024年10月7日、皆木成実撮影

 2023年に国登録有形文化財となった奈良県橿原市中町の浄楽寺。登録された後も地元住民により、建造物、文献、仏像など多岐にわたる総合調査が行われ、今年9月、報告書が刊行された。文化財総合調査が行政や大学でなく、住民主導で実施される例は極めて珍しい。発行者で檀家惣代(だんかそうだい)の大西甚吾さん(69)は「地域のシンボルの歴史を次世代に語り継ぐ」と話している。

 浄楽寺本堂は明治20(1887)年建立。明治初期の廃仏毀釈(きしゃく)で廃絶した旧多武峯(とうのみね)妙楽寺(桜井市)の経蔵「輪蔵(りんぞう)」の部材を転用して建てられた。この由来や地域の寺として親しまれている点が評価され、2023年2月に登録有形文化財となった。

 中町地区ではこの時、食酢醸造業を営む旧家の建物「瑞穂酢(みずほす)(大西家住宅)」も登録有形文化財となった。檀家惣代の大西さんはその当主で、家業を引き継ぐ「ミズホ」社の4代目社長。地区の歴史を語る二つの伝統建築の文化財指定を働きかけたのも大西さんだった。

 文化財指定のための浄楽寺調査は主に建造物のみだったため、地域の歴史をもっと掘り下げたいと感じた大西さんは橿原市出身の建築家、稲上文子さん(64)=兵庫県西宮市=に総合調査を依頼。稲上さんは専門家計14人で「浄楽寺資料調査会」を結成して23年12月から調査を始めた。費用はすべて大西さんが負担した。

 その結果、①寺の門前にある石仏(高さ80センチ)は室町後期の釈迦如来座像で、銘文から寺の前身「常楽寺」の本尊だった②寺本堂正面の大欄間(幅3・6メートル)は江戸初期の作で、もとは旧多武峯妙楽寺の書院座敷にあった③寺号「浄土真宗浄楽寺」は江戸中期の宝暦6(1756)年、西本願寺から贈られた--などが分かった。

 大西さんは「明治の建設時には曽祖父が関わり、大屋根の修理は父が支援した。この寺の価値を調べることは子孫の私の使命と感じていた。瑞穂酢と合わせ、中町に関心を持ってくれる地区外の方が増えることを願っている」と話している。

 「浄楽寺総合調査報告書」はA4判85ページ。橿原市立図書館など県内主要図書館に一般閲覧のため寄贈されている。【皆木成実】

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