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<本場の中国でも根強い人気の『三国志』と諸葛亮。 近年は魅力的なキャラクターとして描いた日本側の人物解釈が中国に逆輸入されている>

最新の内閣府の世論調査で国民の約9割が「中国に親しみを感じない」と回答するなど、現代日本人は中国が「嫌い」だ。しかし、『キングダム』や『パリピ孔明』など中国史が題材のエンタメは大人気。その筆頭格が『三国志』で、日本人には古くから中国史への多大なるリスペクトがある。

中国の社会の底流には今も歴史が流れ続けており、習近平も演説に古典を引用し続けている。現代の中国社会と中国共産党は、自国の歴史をどう見ているのか? 令和日本の中国報道の第一人者・安田峰俊による話題書『中国ぎらいのための中国史』(PHP新書)の「第一章 奇書」より一部抜粋。


 

諸葛亮の『出師表』を引用する習近平

諸葛亮はおそらく、日本人の間で最も有名な中国史の人物の一人だ。そのプロフィールを簡単におさらいしておこう。
徐州琅邪郡の人であった諸葛亮は、移住先の荆州(けいしゅう)で、前漢の景帝の末裔とされる劉備から三顧の礼を受け、魏・呉・蜀を鼎立させる持論「天下三分の計」を提唱してその臣下になった。

やがて劉備が蜀の皇帝に即位すると、諸葛亮は丞相に就任。劉備の死後に大権を握って2代目の劉禅を補佐し、その高い行政能力で蜀を支え続けた。晩年は自ら兵を率いて魏に対する軍事行動(北伐)を繰り返したが、志半ばにして病を得て逝去した。これが史実の諸葛亮である。

一方、14世紀に羅貫中がまとめた歴史小説『三国志演義』は、蜀を善玉として描いており、諸葛亮は物語後半の中心人物に位置付けられている。

『演義』の諸葛亮は、一夜にして10万本の矢を集める、巨石を組み合わせた石兵八陣で敵軍を退ける、死後もなお自分の木像を使って魏の司馬懿を敗走させる......と、智謀神の如き天才軍師として描かれており、これが後世のイメージに大きな影響を与えることになった。

日本でも、『演義』の内容を日本人向けにアレンジした吉川英治の小説や横山光輝のマンガ、NHKの人形劇などが大ヒットした。三国では最弱の国だった蜀に忠義を尽くした諸葛亮の姿が、日本人の判官贔屓的な心情を刺激したことも人気の一因だろう。日本でのこうした創作物では「諸葛亮」よりも「諸葛孔明」のほうが通りがいい。

近年、日本のエンターテインメントの世界では、「孔明」の人物像があれこれとアレンジされ、変態性愛者にされたり(『蒼天航路』)、敵兵にビーム攻撃を放つ設定にされたり(『真・三國無双』シリーズ)、果ては渋谷のパリピにされたり(四葉夕卜・小川亮『パリピ孔明』)と、好き放題に描かれている。

ただ、これらの自由奔放な描写の数々も、彼のステレオタイプなイメージが日本社会で完全に定着しているために生まれたものにほかならない。

一方、本場の中国でも『三国志演義』は広く読まれ、諸葛亮も根強い人気がある。 中国の伝統的な講談や京劇では、曹操などの魏の武将が悪役として設定されてきたが、近年は彼らを魅力的なキャラクターとして描いた日本側の人物解釈も逆輸入されている。

もっとも諸葛亮については、日中間での解釈の差が比較的小さく、蜀に忠誠を誓い人格的にも立派な天才軍師、というイメージは共通している(『演義』からの直接の影響が強い中国のほうが、諸葛亮の妖術師的な面を大きく捉える傾向はある)。

諸葛亮については、日本語の「三人寄れば文殊の知恵」と同じ意味の「三個臭皮匠勝過諸葛亮」(凡人も3人集まれば諸葛亮に勝てる)や、事態が終わってから賢しらに解説してみせる行為を指す「事後諸葛亮」など俗語的なことわざやスラングも多い。現代の中国人にとっても身近な存在ということである。

ゆえに、習近平の演説のなかで諸葛亮の言葉が引用されたケースもある。 比較的有名なのは、「受命以来、夙夜憂歎、恐託付不効」(意訳:使命を引き受けて以来、自分が果たすべき責任を意識せぬときはない)という一節の多用だ。これは諸葛亮が北伐にあたって君主の劉禅に奏上した『出師表』の言葉である。

最初に引用されたのは、2014年9月ごろの演説だったとされるが、この引用句はその後も党大会が開かれる年(2017年や2022年)ごとに『人民日報』などでしばしば取り上げられ、習政権を象徴する言葉の一つとなっている。

近年、習近平は「我将無我不負人民」(意訳:私は私心をもたず人民に背かない)というスローガンをプロパガンダに用いるようになったが、この言葉とセットで引用されるケースも多いようだ。


 

「孔明の南蛮行」がポジティブに解釈される理由

中国において、歴史は単なる過去の出来事ではなく、現代の政治的な問題を肯定したり否定したりする材料として活用する対象だ。こんにちの価値観をもとに、数百年以上も昔の人物の言動を論じる行為はナンセンスに思えるが、中国はそれを非常に好む国である。

たとえば諸葛亮の場合、近年の中国では「南征」をポジティブに論じることが増えた。 南征とはすなわち、劉備の病没後に益州(現在の四川省)南部で起きた反乱に対して、諸葛亮が自ら軍を率いて出兵し、そのまま南中(現在の雲南省・貴州省)方面まで遠征した出来事である。

横山光輝『三国志』のいう「孔明の南蛮行」だ。南中の平定後、諸葛亮は現地に6つの郡を置いたが、蜀の本国から行政官を送らず現地の有力者を行政のトップに据え、情勢の安定を図った。 当時、中国西南部にいた異民族は西南夷(せいなんい)と呼ばれた。現代中国の民族識別工作でいう、ペー族やミャオ族、ナシ族などの祖先の一部である。

彼らのなかには、諸葛亮の南征を通じて蜀に服属し、漢民族の文化を受容した人たちがいた。現在でも雲南省の少数民族には、諸葛亮に関連した説話や習慣を(後世に創作されたものを含めて)伝えている事例が多い。 では、なぜ現代中国で諸葛亮の南征が肯定的に捉えられているのか。

理由は、諸葛亮が辺境における少数民族の統治政策において成功を収め、国家の統一や中華民族の文化の拡大に貢献したから......である。

事実、一触即発の少数民族問題が報じられるチベット族やウイグル族とは異なり、かつて西南夷と呼ばれた中国西南部の諸民族は、「少数民族」とはいえ中国国家の一員(中国人)であるという自己認識が強く、分離独立運動とも無縁である。

これは彼らが長年にわたり漢民族の社会と接触し続けた歴史を持つためだが、その最初のきっかけの一つが、諸葛亮の南征だったのだ。 そのため、特に2013年の習近平政権の成立以降、西南地域の少数民族と諸葛亮の関係をポジティブに論じる言説が増えた。

インターネットで「中華民族共同体」や「大一統(ダーイートン)」(=一つの中央政権のもとで中国が統一された状態)といった特有の単語と諸葛亮の名前を組み合わせて検索すると、政治的な色彩が強い新聞記事や学術論文をいくつも拾うことができる。

たとえば、四川省の名門校である成都大学の副教授(准教授)・劉詠涛(リュウヨンタオ)が2014年に発表した論文は、諸葛亮の南征について「中国西南部の各民族を、中国の全国人民と共通した自己認識を持つ中華民族共同体へと変えることを推し進めた」と評価している。

さらに彼いわく「諸葛亮の南中経営とその影響、および南中人民の諸葛亮に対する崇拝」は、「中国西南部辺境の各族人民の祖国と中華民族と中華文化に対する共感の自己認識を集中的に体現している」とのことだ。

3世紀の中国西南部の異民族を「南中人民」「中華民族共同体」と呼ぶことは、日本はもちろん、中国のまともな歴史研究者の常識に照らしても違和感が大きい。同時代の日本列島の住人を「邪馬台国人民」「大和民族共同体」と呼ぶようなものだからだ。

しかし、これなどは序の口である。 2023年に発表された、雲南民族大学講師の姜南の論文は、諸葛亮の南征を「蜀漢分裂勢力の頑迷な抵抗とその野心を粉砕・消滅させ、真の意味での民族団結と祖国郷土の防衛の目的を実現した」と論じている。

また、2020年前後には別の研究者が「諸葛亮文化精神と社会主義核心価値観の結合性の研究」「諸葛亮精神を大学生の政治思想教育に注入するための私論」などといった論文を書いている例もある。なお、社会主義核心価値観とは現在の習近平政権下で提唱されている、中国人民が守るべき道徳的価値観のことだ。


 

これらの怪しい論文の著者は、多くが世間であまり名が知られていない若手の歴史研究者たちだ。力のない立場ゆえに、時勢に阿ったトンデモ文章を書かざるを得ない気の毒な事情があるのかもしれない。

また、現在にはじまった話ではないが、「『天下三分の計』は中華世界を切り分ける国家分裂主義ではないか」「いや最終的には中国の統一を目指していたので問題はない」といった、外国人の目には不毛としか思えない議論も、中国では長年にわたり絶えず繰り返されている。

むしろ近年は、ネットニュースなどで通俗的な記事が増えたことで、一般人の間でもこの手の議論が広がっている気配さえある。 さらに「諸葛亮が勝ち目の薄い軍事行動(北伐)のために蜀の国力を消耗させた行動は愚忠(愚かな忠義)であり、軍事思想的にも正しくないので、『出師表』を学校で教えることはやめたほうがいい」といった主張も、定期的に蒸し返されて議論になっている。

日本人の感覚からすると、古典を学ぶ目的は、文学表現や時代背景を理解して教養を深めるためで、書かれた内容を無批判に受け入れるためではないように思う。だが、中国における古典は必ずしもそのようには扱われない。

好意的に解釈すれば、中国人は歴史人物や古典との距離感覚が日本人よりもずっと近く、自分たちの社会の延長線上にある存在として捉えている。だからこそ、諸葛亮についてもこうした話題が出てくるとも言える。

諸葛亮は約1800年前の人物にもかかわらず、日本人の創作物のなかで渋谷のパリピにされてしまうほど身近な存在だ。しかし、中国においてもこれとは別の意味で、やはり近しい存在として生き続けているのである。


安田峰俊(やすだみねとし)
紀実作家。立命館大学人文科学研究所客員協力研究員。朝日新聞論壇委員(23'~24')。広島大学大学院文学研究科博士前期課程修了(中国近現代史)。『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』(KADOKAWA)が第5回城山三郎賞、第50回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。他に『さいはての中国』(小学館新書)、『現代中国の秘密結社』(中公新書ラクレ)、『「低度」外国人材』(KADOKAWA)、『中国vs.世界』(PHP新書)など著書多数。


 『中国ぎらいのための中国史』
 安田峰俊[著]
 PHP研究所[刊]

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