米国の作家、エドガー・アラン・ポー(1809~49年)。江戸川乱歩のペンネームはポーの名前にちなむなど日本の文豪たちに影響を与えた小説家。そのポーの魅力を知るにはどんな小説がいいだろう。ポーの研究者で翻訳も手がける龍谷大文学部准教授、池末陽子さん(53)が挙げたのは「黒猫」。【編集長・三角真理】
主人公の「わたし」が妻殺しの経緯を独白する短編。猫への虐待現場を妻にとがめられた「わたし」はとっさに妻を殺してしまう。妻の死体を巧妙に隠し、捜索に入った警察はなんの手がかりもつかめない。警察が退散しようとした時、「わたし」は喜び勇んでポロリとこぼす――。
この作品の魅力はどこか。「まずタイトル」と池末さん。「西洋で『黒猫』は不吉なことに結びつけられる迷信があり、作中でも妻がそれをほのめかす。緊張感のあるタイトルです」
次に挙げたのは主人公のキャラクター。気弱で情けないのだ。冒頭から次のようにこぼす。「今から話すことを信じてもらえるとも思わないし、信じてほしいと言うつもりもない」。なんだかなよなよしている。「『皆さん聞いてください!』でいいのに。どう思われるか不安。だけど聞いてほしいんです」と池末さんもじれったそう。さらに意志が弱いから、「やっちゃいけない」と分かっているのにやっちゃう、というダメさもある。
たとえば動物をいじめてはいけないと分かっているのに虐待してしまう。飲み過ぎたらいけないのに飲んで酒に溺れる。人を殺すなど言わずもがなだが……。同情の余地はないのに、私たちはこの男が気になる。「“分かっているけどやっちゃう”って誰にでもありますよね?」と池末さんが朗らかに続ける。「『今晩はケーキやめとこう』と思っても食べちゃうとか。後悔するのは分かっているのにやってしまうって、きっと人間の本質的なところ。だからひかれるのでは」
主人公は生来動物好きで心やさしい。だから「こんな人がどうして?」「どうして?」と読み進めるが、最後に「人間ってこうなのよね」と納得してしまう。池末さんはこんな読者の心理も解説してくれた。
小心者の「わたし」は黙っていればバレないのに自分でバラしてしまう。「ここが救い」と池末さんは重視する。
「もし逃げ切れたら、この人はこの先ずっと良心の呵責(かしゃく)にさいなまれ、苦しい人生を歩むことになると私たちは想像できてしまう。自白して心の重荷がおろせたかもしれない」と静かに言った。
池末さんがこの作品で好きなところは「わたし」が「この猫が心底怖かった」と語るところ。「『怖い』なんて大人になったら言えない。でも大人ってそんなにかっこいいものではない。弱さを口にできる主人公にあこがれるのでしょうか」と自問した。
事件は解決し一件落着。「スッキリするだけでなく希望も見える」と余韻も味わう。「わたし」は真実を語ることができたし、読者は「自分はどうか? 同じようになってはいけない」と省みる。この広がりこそ「希望」だろう。
「鐘楼の悪魔」
二つ目に薦めてくれたのは「鐘楼の悪魔」。
町自慢の大時計が、侵入してきたよそ者によって狂わされ、正確な時刻が刻めなくなって大騒動になる話。
池末さんはこの短編の面白さについて「社会風刺が痛快」と歯切れが良い。物語の背景には、19世紀のアメリカに増えつつあったアイルランド移民、経済成長に伴い時計が普及してきたことなどがあるという。「時間厳守」や「生産性の向上」を求める社会で、時計は生活を縛る象徴的な存在。「その時計を壊すという行為は、権力や秩序への批判を暗示する」と池末さんは読み解く。時計が狂っただけで町が崩壊寸前にまでなる光景は、ウイルスで大混乱する現代にも重なる。
愉快なのは序盤。「落語の台本を見ているよう」(池末さん)というほどジョークのオンパレード。舞台となる町名は「何時なんだい」。学者風の人たちの名前は「水割り」だの「飲んべえ」だのと遊び心いっぱい。全体を通して、時計や鐘の音、アイルランド民謡など音や音楽があふれ、にぎやかだ。
「お前が犯人だ!」
三つ目のお薦めは「お前が犯人だ! ――ある人のエドガーへの告白」。
桜庭一樹さんの翻案。殺人事件が起きるが死体は見つからない。被害者のおいが容疑者として捕まり、有罪判決も下る。刑が執行される直前、真犯人が自白に追い込まれ、真相が判明する。
どんでん返しのストーリーも面白いが、池末さんは真犯人の姿に注目する。「人間って重すぎるものは背負いきれないということが伝わってくる。どこかで心の重荷を下ろさないと生きていけないのだろう」と神妙に語った。人生には失敗も間違いも過ちもある。肝心なのは「その後どうするか」ということか。
知らない世界がある
池末さんは1970年、山口県宇部市出身。幼いころから本好きで、小学校高学年のときにポーを読み、「知らない世界がここにある」と感じた。広島大、同大大学院でポーの研究をする。
「ポーの作品を読むと、人生は苦しいけれど笑えることもあるし、不安があっても笑い飛ばせると思える」と穏やかに語る。「怖い話が好き」と言う池末さん。その理由は「恐怖の正体が分かり不安がなくなったときの喜びが大きいから」と楽しそうに話した。
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