手で持てる火焔型土器(津南町・道尻手遺跡出土)=同町下船渡乙のなじょもんで2024年8月29日午後5時14分、中津川甫撮影
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 歴史の教科書でもおなじみの「火焔(かえん)型土器」に触れます――。見た目が燃え上がる炎のように見えることからそう名付けられた土器で、日本の縄文時代を代表する。博物館ではガラスケースの中に展示されているのが一般的だが、新潟県津南町の農と縄文の体験実習館「なじょもん」では、発掘された実物に触れることができる。体験してみた。【中津川甫】

 県埋蔵文化財センターによると、火焔型土器のレプリカに触れる施設はあるが、実物は他に聞いたことがないという。火焔型土器は縄文中期の約5000年前に生み出されたとされ、ほとんどが県内の信濃川の上・中流域(津南から長岡付近)で発見されている。十日町市博物館には県内唯一の国宝に指定された土器もあり、「新潟の宝」になっている。

国宝の火焔型土器(指定番号6)=十日町市西本町1の市博物館で2024年8月29日午後3時6分、中津川甫撮影
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 なじょもんの窓口で申し込むと、発掘調査の記録作業をしている「整理室」に案内され、職員の立ち会いの下、火焔型土器を持つことができる。入館料は原則無料(有料の企画展開催時は高校生以上300円必要)。現在は町内で約5500年前の遺跡から見つかった火焔型土器のほか、大小さまざまな約30個の土器に触れる。

 実際に火焔型土器を手に持つと、大きな米袋を持った時のような重みがあり、思ったよりも艶と厚みがあった。炎のような取っ手を軽くつかんだり、文様を指でなぞったりしていると、縄文人になったような気分を味わえた。自分の物だったら装飾の出来栄えを自慢し他人に譲りたくないが、獲物を追って引っ越す時は重くて持ち運びが大変だと感じた。

 担当する町教委の小島裕輔さんは「火焔型土器は研究者だけが触れる物ではなく、みんなの物。見るだけでなく触ることで、縄文時代をもっと身近に感じてほしい」と語る。

ガラスケースの中に展示されている火焔型土器など=長岡市関原町の馬高縄文館で2024年8月29日午後0時25分、中津川甫撮影
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 十日町市博物館によると、火焔型土器の魅力は不思議なデザインにある。縄文土器なのに表面は縄目の文様が原則使われず、竹管の使用やひも状にした粘土を張り付けて立体的な線で文様(渦巻(うずまき)文やS字文など)を表現するといった特徴がある。口縁部の取っ手は4カ所あり、ニワトリのトサカにも見えるため「鶏頭冠(けいとうかん)突起」と呼ばれる。その周囲にあるフリル状のギザギザ部分はノコギリの歯に似ていることから「鋸歯(きょし)状突起」と名付けられている。

 一方で長岡市立科学博物館によると、専門家の中には炎に見える取っ手が「信濃川で跳ねるサケの姿」、土器の文様は「水の流れや雲、煙」と見立てる人もおり、デザインの解釈はさまざまだ。火焔型土器は内面に食べ物の焦げが付着していることが多いため、煮炊きに使われたとみられているが、祭りや儀式など特別な時に用いられたとも考えられている。こうした謎の多さが現代人に縄文ロマンを感じさせるという。

 小島さんも「津南のような豪雪地域に、なぜ縄文人が多く住んでいたのか」と強い関心を持つ。農耕でなく狩猟採集で生計を立てた縄文人にとって、雪が積もる冬山は野生動物の足跡が残るため見つけやすく、狩りに好都合だったと見ている。

 小島さんは「雪は現代人にとって厄介に思われがちだが、縄文人は違った見方をしていたのかもしれない。なぜこの地域で火焔型土器が多く見つかるのか。土器を見て触って雪国の風土も知ってほしい」と話している。

 縄文土器に詳しい国立歴史民俗博物館(千葉)の中村耕作准教授は「触れる展示は土器の質感といった見るだけでは得られない価値があり、縄文文化の面白さの発見につながる。歴史の復元の意義や、地域に伝わる宝を知ってもらう上で貴重な取り組みだ」と語る。

 「太陽の塔」を手掛けた芸術家の岡本太郎は、日本文化の源流を示す火焔型土器を見た時に「なんだ、コレは!」と叫んだとされる。記者は北海道で見たアイヌ民族の服と土器の文様が似ていると感じた。文化庁の文化遺産オンラインには火焔型土器について、こう書かれている。「縄文人は何をイメージして作ったのでしょう? あなたにはどんなふうに見えますか?」

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