東日本大震災の直後から岩手県沿岸部の移り変わりを絵に残し続けている画家がいる。今も筆を握り続けるその思いを取材した。
岩手県奥州市に住む画家・鈴木誠さん(52)は、この日、大船渡市越喜来地区で一本のポプラの木を描いていた。
津波に負けず力強く根を張るその姿から地元では「ど根性ポプラ」と呼ばれている。
鈴木誠さん
「被災地の震災の象徴的な木の周りのものが、どのように変わっていったかをテーマに描いてる」
鈴木さんは東日本大震災直後から被災地の姿を油絵として残す活動をしている。
鈴木誠さん
「子どもの頃から描くそのものが好きだった。絵というものは喜怒哀楽の人の心を一番反映できる」
鈴木さんが描く被災地の風景には、被災した人へ希望を届けたいという思いがあった。
埼玉県出身の鈴木さんは、大学を卒業後は関東の会社に就職し、働きながら山や花など自然をモチーフにした絵を趣味で描いていたという。
2011年3月11日。
東日本大震災が発生すると、鈴木さんは被災地の役に立ちたいという思いから東北地方に通うようになった。
被災地の姿を写真ではなく絵に残すことにした理由。それは…
鈴木誠さん
「自分に何ができるかということをまず考えた。写真だともう見られない、見たくないという人が絵だと見られるという」
「絵は人の心に訴えかける力を持っている」この信念のもと鈴木さんは震災の記憶を風化させないため、被災地の姿を収めた絵の個展をこれまで7県24カ所で開催し、合わせて約1万2000人が訪れたという。
そして4年前、自身の活動を本格的に進めるため奥州市に移住し、沿岸部に足しげく通い被災地の姿を記録し続けている。
さらに熊本地震や能登半島地震の被災地にも赴き、その光景を描いていて、今ではその絵の数は250点以上に上っている。
今回鈴木さんが一心不乱に筆を進める大船渡市のポプラの木は何度も描いていて、数ある作品のなかでもひときわ思い入れがある。
鈴木誠さん
「なんて強いんだと思った。1本だけ残ってて、しかもあれだけ緑をつけてる。がれきの中で希望を見つけたという感覚」
小さな商店の庭木だった「ど根性ポプラ」は、震災直後、がれきが広がる光景ばかりを目にし気持ちが滅入っていた鈴木さんにとって大きな出会いだった。
鈴木誠さん
「絵描く時に必ず気をつけているのは、ただ悲しい絵にするのではなく、どこかに希望を感じさせるものを絵の中に絶対入れようと」
当時は地元の人もあまり存在を知らず、伐採の話までも持ち上がっていた「ど根性ポプラ」。
しかし鈴木さんが毎年絵に収め続けたこともあって地域住民の関心が高まり、復興の象徴として震災前と同じ場所に残された。
作品にするのはこれが10回目だ。
ポプラの周りには復興道路の三陸道などが描かれ、人々の生活が戻ってきた様子が収められている。
鈴木誠さん
「ここまでやっと復興したなというのと、これからここにどれだけ人の息吹が戻ってくるのかなっていうのを期待しながら描いてる」
そして鈴木さんはこのポプラと共に復興を続けていく町の移り変わりをこれからも絵に残し続けていくと決めている。
鈴木誠さん
「実際に現地と向き合って喜怒哀楽の気持ちを葛藤しながら描いてくのは、必ずその気持ちはいつの時代を超えても伝わってくれるものかなと。しっかりと向き合ってもらえる機会を作ることによって1人でも命が救われるきっかけになってほしいと思っている」
ポプラの花言葉は「勇気」。強くたくましく生きるポプラをこれからも描き続ける鈴木さん。
復興の道を歩む沿岸の人々に勇気を届ける。
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