故人の御霊を船に乗せて送る長崎のお盆の伝統行事「精霊流し」が2024年も各地で行われた。故人をしのばせる趣向を凝らした船が流し場に流され、花火や爆竹のけたたましい音とともにお盆の夜がふけた。

くんちを愛した男

鮮やかな朱色に美しい装飾が施された精霊船。

長崎くんちの踊町の一つ、大黒町の「唐人船」がモチーフとなった久保田昌夫さんの船
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長崎の伝統行事である長崎くんちの踊町の1つ、大黒町の「唐人船」がモチーフになっている。

昌夫さんは大黒町の「唐人船」に4回出演

2023年9月に59歳で旅立った久保田昌夫さんを乗せた船だ。歌を歌い、周りを盛り上げることが大好きだった昌夫さんは、1997年から大黒町の「唐人船」に4回出演した。

大黒町に関わることが楽しそうだったと振り返る

妻・久美さん:本当にくんちが好きで、大黒町の人と関わるのが好きだった。楽しそうな顔が羨ましかった。 35年仕事で営業をやってきて、本当に尊敬する営業マンだった。だから仕事に関わる方に対してすごく愛されて慕われていた

2人の娘とくんちで共演

2人の娘と共演したことは、家族にとって忘れられない思い出のひとつ。娘たちは「家では甘々な父だった。全然怒られたこともないし、物まねをしたり、歌を歌ったり。くんちでは全然違う一面を見ていた気がする。男らしい姿をくんちでは見ていた」と父の思い出を語る。

くんちみたいに賑やかに

「昌夫さんに一番似合う精霊船を」と、くんち仲間と同級生たちが船の制作に協力を申し出た。

くんち仲間や同級生が昌夫さんを送った

くんち仲間の大久保敬介さんは「男気があってかっこいい先輩だった。かっこいい船で出してやりたいと思った」と語る。また同級生の松尾哲弥さんは「辛いけど最後は明るく。みんな喜ばせて笑わせてくれて楽しかったよと、ありがとうの言葉を送りたい」と話す。

これまで昌夫さんが築いてきた大勢の人たちとの絆が形になった精霊船が完成した。家族は「くんちのように、楽しく見送りたい。幸せだったねと伝えたい」とかみしめる。

当日は大黒町のくんち関係者や友人、親戚など50人ほどで船をひいた。久美さんは「笑顔で一緒に船を曳いていると思う。」と最高の笑顔で送り出した。

笑顔とホタル 自然を大切に

「いつもぱっとお花が咲いたような笑顔で話してくれたおばあちゃん。お花が綺麗に咲いてるの見たら、おばあちゃんを思い出す」

冨工妙子さんの船は、お花で飾られた

家族にとって「笑顔」が印象的な冨工妙子さん。妙子さんは2024年2月に腎不全で亡くなった。

妙子さんは地元の川でホタルを放す活動を続けてきた。1982年7月に長崎大水害が発生。翌年、水害により犠牲となった児童や保護者への慰霊のために「伊良林小学校ホタルの会」が発足した。

妙子さんは発足メンバーとなり、ホタルの飼育や放流、河川の清掃など、多くの子どもたちと一緒にホタルを通した活動を続けてきた。当時、妙子さんは「私たちの力でホタルが再び飛ぶような川にしていきたい」と話していた。

娘の由貴さんは「一生懸命ホタルは生きてるんだということを子供たちに教えていたと思う」と妙子さんの活動を振り返る。

家族で集まって印灯篭にホタルを描いた

精霊流しの準備のために家族が集まった。船を先導する「印灯篭」には「ホタル」を描くことは決めていた。6年前に亡くなった妙子さんの夫の則美さんの時と、同じ絵を描いた。由貴さんは「今ごろ2人で見ていて『ちゃんと集まってやってくれてるよね』と話していると思う」と語る。

当日は家族や親せき、ながさきホタルの会の有志で見送った。由貴さんはホタルを蘇らせる活動は多くの人達に支えられてのことだったと改めて痛感し、「自然を大切にしていきたい」という想いを込めて、多くの人に感謝して船を流した。

8月15日に長崎市では1685隻の船が流され、花火と爆竹とともに故人の御霊は盛大に送られた。趣向を凝らした精霊船は故人の人柄が偲ばれる。

精霊流しの記事は、後編【「みよしの文字に感じる父」に「信頼された医師」長崎の精霊流し 船に託した「ありがとう」を花火と爆竹に乗せて】へつづく

(テレビ長崎)

 

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