茨城が重要な舞台となったNHKの連続テレビ小説(朝ドラ)「鳩子の海」が1974年に放映されてから今年はちょうど50年。主役の鳩子を演じた藤田三保子さん(71)は2年前から結城紬(つむぎ)大使を務めています。画家などとしても活躍する藤田さんは、結城紬について「正式な場でも着られるようお墨付きを得て、もっと盛り上がってほしい」と新たな展開を期待しています。【松下英志】
時代の分かれ目のヒロイン像
1カ月以上のオーディションの末、鳩子役に決まった時は新人中の新人ですから「1年間やれるだろうか」という不安の方が大きかったですね。茨城で最初に行ったのは(作中で新婚生活を送る)東海村。空が真っ青ですごく奇麗で、原子力研究所で燃料棒のプールを見ると、そちらもすごいブルー。「ここまで来ていいの?」という場所に立ち入れたのは役者冥利でした。結城では織子さんたちとお話しして機織りも体験させていただき、紬は大変な苦労と汗の結晶なんだと実感しました。
それまでのヒロインは両親がきちっとした良家の子女で、私のように母子家庭で育ったヒロインはたぶん初めて。しかも離婚して子供を一人で育てる。「夫がなぜ原子力研究所の人なんだろう」と思いましたが、ずっと後で、ある記事に「エネルギー問題として取り扱ったのではないか」と書かれていました。放映のころ石油ショックが起き、トイレットペーパーが買い占められました。
時代の分かれ目として(高度経済成長後に)石油ショックが起き、その中で離婚し子供も一人で育てるヒロイン像を、戦争や平和、経済やエネルギーなどと一緒に描きたかったんじゃないかと。なるほど、だから原子力も出てくる。女性が一人で生きていく社会的背景とか、安保とか、脚本の林秀彦先生は「日本が通っていかなければならなかった」ということも描こうとされていたんじゃないかな。(作品は)社会派だと思いますよ。
結城紬に正装のお墨付きを
結城紬大使の委嘱の際は短い滞在でしたが、結城に実家がある切り絵作家さんに誘われて昨年4月、結城蔵美館で「二人展」を1カ月ほど開きました。その際(鳩子の勤める産地問屋のモデルとなった)「奥順」さんにあいさつにうかがい、撮影時に旅館を経営されていたおばあちゃんが蔵美館にいらっしゃって「うちに泊まったのよ」とお話しされ「それはそれは」と。もうその旅館はやっていないそうですが。
紬は“最高級のおしゃれ着”で、正装には用いないと言われますが、何かのきっかけで正装として着られるようになれば全く変わってくると思います。例えば社会的な立場のある人たちが「そうしましょう」とお墨付きを与えるとか。今は着物にブーツとかもあるわけですから、そうなれば「ちょっと良いじゃない」と盛り上がっていくのではないかと思うのです。
ふじた・みほこ
1952年10月、山口県で資産家の父親と元新派女優の母親の長女に生まれ、2歳で両親が離婚、母子家庭で育つ。母親の影響で中学時代から女優を志し、県立防府高を卒業後、上京して文学座へ。21歳で「鳩子の海」の主役に。その後「Gメン75」(TBS系)の響圭子刑事役など出演多数。現在はシャンソン歌手や画家、俳人、朗読講師など活動は多岐にわたる。2022年から結城紬大使。
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