富岡製糸場の東置繭所=群馬県富岡市で2024年6月3日、加藤栄撮影

 群馬県富岡市の富岡製糸場は25日、世界文化遺産登録から10年を迎えた。人口5万人足らずで少子化が進む同市は、有識者らで作る民間組織が4月に公表した「消滅可能性自治体」のリストに初めて入り、億単位の金額が必要となる保存・整備が重くのしかかる。入場料が軸の財源をいかに安定させるかが課題となっており、榎本義法市長は「世界の宝である富岡製糸場をいかに維持活用していくかは私たちの責任。入場者を安定確保していきたい」と覚悟をにじませる。【加藤栄、田所柳子】

 「群馬は地震が少なく、津波もないのに、よりによって富岡製糸場の一部施設が大雪でつぶれた。近代建造物の修復のテストケースになる」。県幹部は5月下旬、嘆息した。面談相手は日本イコモス国内委員会の岡田保良委員長。10年前に県世界遺産学術委員長として登録申請に関わり、県内遺産群の振興に心を配る。「外国人観光客は増えていますか」との岡田氏の質問にも、県幹部は「あまり増えていない」と回答せざるを得なかった。

 2014年2月の記録的大雪で乾燥場などは半壊・倒壊し、26年度の完成予定時までに修繕費が約30億円かかる見通し。老朽化した煙突の修繕は約3億2000万円を見込む。国宝の西置繭所は耐震補強に加え、多目的ホールやギャラリーなどの開設を行い、20年までの約6年間で約35億円かかった。

 24年度の当初予算でも、市が製糸場関連で計上した10億2308万円は予算全体の4・3%。大型事業である上州富岡駅の北地区再整備事業(予算3億7446万円)や富岡小学校長寿命化改修事業(同4億8019万円)と比較しても市の負担は大きい。

 保存整備には入場料や寄付が充てられ、繰越金を富岡製糸場基金に積み立てる。基金はスタートした08年度が328万円で、世界遺産に登録された14年度に5億4564万円、16年度に最高額の9億9269万円まで増えた。

 しかし、西置繭所の多目的ホール建設や乾燥場の修理などで19年度には2億2637万円まで減少。さらに20年度にはコロナ禍で2カ月閉所し、その後も入場者は激減して基金は21年度に5073万円まで落ち込んだ。

 市の人口減も深刻だ。記録が残る1960年以降、98年に旧富岡市・旧妙義町の人口は5万4980人で最多だったが、昨年10月時点で4万5996人に減った。民間組織の人口戦略会議は今年4月、2020年からの30年間に市の若年女性が52%減るとして、初めて将来の消滅可能性を指摘した。

 榎本市長は「人口が減少する中で、大規模なものを背負っている。物価高騰も頭が痛い」と認めつつ、「バランスを取りながら整備を進め、安定的に入場者がくるような施策を進めたい」と力を込める。

 入場者数は、14年度の133万人をピークに減少し、コロナ禍の20年度に17万人まで落ち込んだ。ただ、新型コロナウイルスが5類に移行した23年度には36万人まで復調し、10周年イベントが続く24年度は目標の42万人を達成できるペースで推移している。

 市富岡製糸場課の大崎渉課長によると、入場者数が40万~50万人前後を達成できれば十分に整備や保存を継続できるといい、「基金の減少はそこまで深刻には捉えていない」と話す。基金は23年度に1億8000万円まで回復しており、「決して悲観していない」(大崎課長)という。

 富岡製糸場は1872年に官営工場として操業。民間へ経営が移った後も絹産業を支え、産業の衰退とともに1987年に操業を停止した。2005年に建物などが市に寄贈され、08年から有料で一般公開、14年に世界文化遺産に登録された。

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