[金平茂紀のワジワジー通信 2024](17)

 沖縄とのお付き合いもここまで長くなると、自分の中でいつの間にか決まり事のよう繰り返す行動様式がある。僕の場合、5月15日の「復帰の日」と6月23日の「慰霊の日」は、沖縄で過ごしていることが多い。特に6月23日は、調べてみたらこの11年間は連続して沖縄にいた。糸満市の平和祈念公園で開催される戦没者追悼式の場にいることが多かった。取材で初めて沖縄に来た1987年以降だと、もう30回近くになるのではないか。追悼式のその時々の知事の顔も変わっていった。西銘順治→大田昌秀→稲嶺恵一→仲井真弘多→翁長雄志→玉城デニーの6氏。

 今年の5月15日も沖縄にいた。「台湾有事」をあおり、問答無用で南西諸島に自衛隊のミサイル基地が造られていく中、何だかワジワジーする気持ちが晴れないまま、宿から福岡高裁那覇支部の前まで歩いていった。暑い。まあ裁判所もダメなんだろうな、ワジワジーするだけか。そんなことを考えながら。

 その日、名護市辺野古の新基地建設を巡って、周辺住民4人が、埋め立てを認めた国土交通相の裁決を取り消してほしいと訴えていた裁判の控訴審判決があった。厳密には、抗告訴訟の控訴審という位置付けの裁判なのだが詳細は略す。それを取材しようと思ったのだ。傍聴券を配布する列に並んだ。裁判所職員から腕に紙のテープを巻き付けられる。何だか罪人になったような奇妙な気分だ。並んだ人全員に傍聴券が配布され、それを持って法廷内に入った。

 午後3時ちょっと前に入廷した福岡高裁那覇支部の三浦隆志裁判長が判決主文を読み上げる。「主文。原判決を取り消す。本件を那覇地方裁判所に差し戻す」。一瞬何が起きたのか分からないような感じで間があいた。そして傍聴席から大きな拍手が巻き起こった。原告に訴訟を起こす資格(原告適格)さえ認めなかった一審判決を取り消し、審理を那覇地裁に差し戻すというのだ。

 言い渡しの時間はわずか1分くらいではなかったか。正直びっくりした。その時取っていた自分のノートを見たら文字が乱れていてよく判読できない始末だ。「…考慮されるべき利益の内容に鑑みれば…その被害は健康や生活環境にかかわる著しい被害にも至りかねないものである…」「…控訴人らは…当該事業にともなう障害により健康または生活環境にかかわる著しい被害を直接的に受けるおそれの当たる者か否かは…」(以下読み取り不能)。

 原告団弁護士によれば、辺野古新基地を巡ってこれまで起こされた数多くの訴訟で住民側が「勝訴」したケースはこれが初めてだという。まあ、原告としての資格は認めるべきとしたわけだから、ほんの入り口の段階での「勝訴」ではあるが。それまで地裁、高裁、最高裁を問わず、日本の裁判所が出す判決内容があまりにも現実感覚と乖離(かいり)した冷酷無比なものが多かったので(例えば、2022年6月の「福島第一原発事故に国に賠償責任はない」とした最高裁判決など)、ワジワジーを通り越して絶望しかかっていたのだが、こういう小さな例外もあるのだろう。ワジワジーのち、晴れ。

 与那国島で今何が起きているのか。まるで島全体が軍事要塞(ようさい)化の道を問答無用で歩まされているようだ。5月17日、エマニュエル駐日米大使が軍用機を使って与那国島の民間空港に降り立った。実質滞在時間は3時間余りだったが、糸数健一町長の歓迎や、島に駐留する陸上自衛隊員との昼食懇談会が行われた。在日米軍のトップ、ターナー四軍調整官が同行した。

 この訪問全体が政治的パフォーマンスだったと言ってよい。現にエマニュエル大使は報道陣に対して「私が島を訪れる最後の大使ではない。米国民、米軍人・軍属がもっと来ることが…国の安全保障になる」と明言していた。エマニュエル大使は続いて石垣島に移動、そこで一泊していた。大使は「美しい海でダイビングを楽しんだ」とオンラインでつぶやいていた。糸数町長は終始満足げな表情だったが、マスコミの取材には一切応じようとはしなかった。

 そのわずか3日後、糸数町長は台湾の頼清徳総統の就任式に出席していた。玉城デニー知事には招待さえなかった。ちなみに2016年に蔡英文政権が発足した年の就任式には当時の翁長雄志知事が出席していた。与那国町の田里千代基町議によると、エマニュエル大使来訪で、報道陣も含めて大変な数の人々がその時だけ島にやってきて、とても島の軍事要塞化反対の声を上げられる空気ではなかったという。沿岸監視隊160人、空自移動警戒隊20人、電子戦隊90人、ミサイル部隊200人…人口1650人の与那国島の3~4割が自衛隊当事者と関係者に。「島全体がこれからまるで植民地のような扱いになっていくのではないか」と心配しておられた。晴れのち、ワジワジー。

 5月18日、東京渋谷のロフト9というライブハウスで、「沖縄と憲法」を考えるイベントが行われた。日本ペンクラブの関連で僕もお手伝いをさせていただいた。元山仁士郎さんや桑江優稀乃さんらにご登壇いただいた。沖縄の若い世代の声をぜひとも共有したかったからだが、目玉は沖縄のインディーズのラッパーGACHIMAFさんのパフォーマンスだ。ウチナーグチや沖縄民謡を取り入れたラップは、パワーがあった。エマニュエル大使の与那国訪問パフォーマンスよりずっと魅力的だった。ワジワジー、のち晴れ、です。

(テレビ記者・キャスター)=随時掲載

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